安田浩一『ヘイトスピーチ』 ~川崎のヘイトデモが中止になってよかった~

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以前に映画『パッチギ!』の感想記事を書いたのだが、そのタイトルにも引用した作中の在日コリアンが日本人の主人公に向けて怒り混じりに言い放った台詞、

「知らんかったら、この先ずっと知らんやろ!?」

という言葉が僕の胸にも痛く刺さっていて、それからというもの何冊か本を読んで「在日コリアン」の問題や境遇について勉強をしている。

※関連記事:井筒和幸『パッチギ!』~知らんかったら、この先ずっと知らんやろ~

 

映画『パッチギ!』のそのセリフは、その人たちが「在日コリアン」という境遇に置かれることになった経緯、即ち【過去】の話を指しているわけで、そのことについての学びや感じた事はまたおいおい記事にしたいと思っているのだが、

一方でこの【現代】のお話として、「在日コリアン」を翻弄するヘビーな問題についても詳しく知ることになった。

それがヘイトスピーチである。

そういう問題があることをうっすらと認識はしていたのだが、詳しいことは全く知らなかった。安田浩一氏の『ヘイトスピーチ』を読んで、その実態について学んだ。

 

本の紹介をする前に、学んで得たそれに対する僕の考えを先に述べておきたい。

…ヘイトスピーチに率先して加担している人間らは、決して「愛国者」と呼べるほど上等なもんではない。単なる「差別団体」として多くの批判を受け、果ては国連にさえも日本がその抑止を厳しく是正されている国際的にも恥ずかしい団体であるにも関わらず、

当事者たちは言論の自由をふりかざしていまだに世の中にのさばり続けようとしている。しかしそのスピーチの内容もまた、「言論の自由」を主張できるほど上等なもんではないのだ。ただ彼らにとってちょうど都合よく表現の自由が憲法で保障されているから、それを盾にして面白半分お祭り感覚で騒いでいるだけに過ぎない。

その表現の内容というのは、本当にひどい。聞き苦しく見苦しい。当記事でヘイトスピーチの一例を挙げようとも思ったが、内容がひどすぎて当ブログの文章にそんな言葉を書き込みたくないと思いやめた。それほどまでに下劣で汚く恐ろしい言葉の数々である。例えるなら、仮に自分がまだ幼くて分別のつかない時分にそんな言葉を口走ってしまうことがあったとしても、その瞬間に親父からの鉄拳制裁が飛んでくるような、そうでなくても教育を受けているうちに「ああ、これは本当に言ったらダメなことなんだな」と幼いながらに道徳として脳裏や心に刻まれていくはずの、そんなレベルの言葉の数々である。

 

…なぜ、こんなレベルの言葉が飛び交うヘイトスピーチとそれを行う「差別団体」が、これほどまでに増長してしまったのか?

思うにその要因の一つは、現代人の多くが自身のモラルであったり知性、人間力といった個々人の「人格」を成熟させて一人前になろうという発想以前に、先だって自分の周囲の影響力を高めることやその影響力を行使することを強く求めるからである。

「ヘイトデモ」によって人は簡単に影響力を手にすることができ、影響力を行使することの恍惚感を得ることができる。もう少し詳しく言うと、デモに加わる多くの人が自分を支持してくれる「仲間」であり、その場においては発言が過激であればあるほど、注目されるしウケる。これが【影響力の獲得】。そしてもはやその内容が本当に正しいのかどうかは関係がなく(本人らは声高らかに情報発信する自分を”知的”と感じているかもしれないがw)、善悪の区別さえも無くなっていき、「目立った者勝ち」のような空間が形成される。それが団体の数の力によって更に増長され、間違いなく自分の言葉が「在日コリアン」の方々を震え上がらせ肩身の狭い思いをさせる影響力を発揮していることを実感する。これが【影響力の行使】である。本人にとっては、それらを一度手にするともう二度とは手放し難い自身の原動力と化してしまう。そして、本来成熟させるべきだったモラルや知性、人間力を置き去りにしていく。

僕はヘイトスピーチの問題の本質は、そういうところにあるのだと思っている。そこには「在日コリアンの特権うんぬん」というような主張や思想が都合よく矢面に立たされているだけで、本質的に「在日コリアンの問題」が中身としてあって、ヘイトスピーチが生まれたわけじゃない。

 

…とはいえ、それによって在日コリアンの方々がとても苦しんでいるのは事実。下劣で汚く、ひどい罵詈雑言を前に、お国は「言論の自由」とか言っている場合じゃないのでは?

そんなことを思っていたら、今年5月24日に【ヘイトスピーチ解消法】が成立し、今月3日に施行。それに伴うカウンター活動(ヘイトスピーチに反対する団体の活動)によって、6月5日に実施された川崎のヘイトデモが、出発直後に中止されるというニュースがあった。

※参考記事:
川崎のヘイトデモ、出発直後に中止 反対の数百人が囲む
施行後さっそく川崎・渋谷で大混乱 「言論の自由を妨害するな」×「ヘイトデモやめろ!」 DJポリスも出動し…

これを機にヘイトスピーチが世の中から一気に一掃されればいいと思う。

僕の考えは以上。

 

 

安田浩一/ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力

在日コリアンへ罵詈雑言を浴びせかける街頭デモが問題視されるヘイトスピーチ。差別的言辞はなぜ止まないのか?「愛国」を楯に排外主義を煽る差別の現場を、新大宅賞作家が徹底検証する。

タイトルの”「愛国者」(かっこ愛国者)”という記述は、たぶん安田氏の皮肉。内容を読めば分かると思うが、”愛国者(笑)”と置き換えてもいいかもしれない。

 

何も知らなかった僕も、この本を読んで上述したような考えを持つに至ったのである。

 

これだけは知っておきたい『ヘイトスピーチ』の定義

さて、おかしなことに、紹介した本の内容や上述した僕の考えというのは、批判的だからという理由でヘイトスピーチを行う団体にとって「自分らに対するヘイトスピーチだ!」という主張がなされるのである。

これはそもそも報道の問題で、「ヘイトスピーチ」が単に「憎悪表現」と翻訳されて世の中に広まったことに起因している。しかし実際はそうではない。

以下では本の内容を引用しながら、そのことについて言及したい。

 

ヘイトスピーチ…その真意とは?

単なる批判や罵り、憎しみの言葉のことを指すわけではない。そこには「人種的差別」というキー・ファクターが存在しているのである。

人種や宗教など、ある属性を有する集団に対し、おとしめたり暴力や差別をあおったりする侮辱的表現を行うこと(ドイツ刑法では「民主扇動罪」にあたり実刑が下る)

 

ヘイトスピーチ=憎悪表現ではない。…人種、民族、国籍、性などのマイノリティに対して向けられる差別的な攻撃を指す。

 

マイノリティに対して恐怖、過度の精神緊張、精神疾患、自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛をもたらす」としたうえで
①人種的劣等性を主張するメッセージであること
②歴史的に抑圧されてきたグループに向けられたメッセージであること
③メッセージの内容が迫害的で、敵意を有し相手を格下げするものであること

…要するに、ヘイトスピーチは単なる不快語や罵詈雑言とは違う

 

従って、実際は全くそうじゃないのだが、これまた手前勝手に都合よくヘイトスピーチを行う差別団体が自分らへの批判に対抗するために「それもヘイトスピーチじゃないか!」と詭弁を言っているだけなのである。

 

ヘイトスピーチ、その活動の原動力について

「人格形成に先立った影響力への渇望」という視点から、そのことについて僕の考えを先述したが、

本で引用されていたエリック・ホッファーの哲学も、うまいことそのことについて言い当てているように思ったので、最後にそれを紹介して締めとしたい。

<憎悪は、空虚な人生に意味と目的を与えることができる>

<われわれを駆り立てるのは、主として非理性的な憎悪であり、(略)この種の憎悪がもっとも効果的で有用なのである>

 

…こんな事象をパッチギる理性と、それに基づく人生を僕は求めていきたい。

 

EPIC!

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